“臭い話”
臭い話から始めます。うさん臭いわけでもきな臭いわけでもましてや面倒臭いわけでもなくて、本当に臭い話なのです。ですから今お食事中の方や妊娠中の方は読むのを控えた方が無難かもしれません。
さて、人間である以上、いや、ウサギや犬と同じ動物である以上、しかるべき用を足さない人間など地球上にはひとりもおりません。用を足している最中決してかぐわしいとは言えない芳香に遭遇することはむしろ自然の摂理でしょう。しかし、自分の用足しの場合、心の準備ができていてもはじめは臭いに抵抗を感じますが、ある程度時間が経過してくるとそれを受入れ合理化しようという包容力というか柔軟性が人間にはあります。逆の言い方をすると、感覚の麻痺が起きているのかもしれません。
ところが、これが自分以外の他の人が用を足した後残っている臭いを嗅いでしまった時、人は自分の時以上に鋭く嗅覚が覚醒し、その環境に自分の身を置く事に対し一瞬躊躇を覚えます。例えその相手が最愛の家族や恋人であったとしても・・・
しかし、もともと用事があってトイレの門を叩いた訳ですから、用足しの必要性とその困難とをてんびんにかけ、何とか困難を克服しようとするとするのが一般的な人の姿なのでしょう。ただし、そのかべを乗りこえる過程は自分の用足しの臭いを受入れる事以上にハードルは高く受忍限度の心の幅は狭いということが言えます。
さて、ここから本題に入ります。結局、今回もまたアンサンブル・フォウ・ユウの話題です。
オーケストラ演奏において各パートは楽譜の提示どおり音楽情報を実際の音に変えて表現し、それぞれのパートの奏でる音を総合して作曲者の意図する音楽を作り上げます。そのために指揮者がいて練習の必要性があるわけです。
我々は、チューナーなどの道具を使って、常に音程に対しては細心の注意を払うようにしています。しかしながら合奏中はチューナーに頼る訳にはいかず自分の耳と練習の成果に頼るしか、音程の確認はできないのです。ところで、素人の場合得てして、ちょっとした弾みで音程のズレが生じた時にそれを修正し建て直す機会を失うとどんどんズレが増幅し、感覚の麻痺状態に陥ることがあります。これはひとりで練習している時に特に顕著に現れる症状であって、あたかも自分の用足しの臭いのように一度感覚が麻痺すると音程のズレに対し鈍感になるという現象に通じるものがあります。
これが例えば人の放つ臭い、いや音程のズレだったとしたらどうでしょう。これはもう臭い!臭い、臭いと言って大騒ぎするに違いありません。自分の時には簡単に麻痺しやすかった嗅覚が他人事になると、たちどころに優秀な警察犬の如く動かぬ証拠を容易に見つけ出してくるほど冴えわたるのです。ただ、1人対1人で音楽をしている分にはどちらが正義でどちらが自由かその判定にそれほどの困難は生じません。
しかし、オーケストラの場合弦楽器だけで5部の構成、管楽器は約5種類の楽器のピッチをそろえなければなりません。演奏が一端スタートしてしまえば、人の発する音の音程や奏法が違うからといって演奏を途中で中断するわけには行きません。そして自分も同じ事をやらかす余地はいつもあるわけですからその仲間とのその時の演奏でしか出来なかった正義を実現していくしか道はないでしょう。
ところで、あまり偉そうな事は言えませんが、弁護士の日常業務においても、人様の活動のおかしな点に対してはすぐにそのズレに気が付いても、自分のやっていることのズレに対してはとかく嗅覚が麻痺しやすいということはいえるかもしれませんね。そういう意味ではひとりで行動し判断する機会の多い弁護士の場合、人との協同作業や、弁護士会の派閥活動に積極的に参加する事は大切な事なのかもしれません。
以上臭い話に終始しましたが、世の中臭いからといって蓋をするだけでは済まされない事がいっぱいあるようです。 |